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農村の結婚式

これって、何の写真かおわかりでしょうか。

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実は、結婚式です。

農村に暮らす夫のいとこが
結婚することになり、
先週末、結婚式が開かれました。
(ちなみに、若い二人らしく、授かり婚であります)


参加したのは、夫と娘。
私は仕事が重なったのでやむなく欠席することになり、


「帰ってきたら、おねえちゃんがどんなドレス着てたか、
どんなごはん食べたか教えてねー」


と、おしゃれ着に着替えた娘に話かけると

「わかった!」

といってはりきって返事して二人で出かけていきました。


夕刻。
戻ってきた二人と合流すると、なんだか疲れた様子。
晴れの日の高揚感をまるで感じさせません。


「どうだった?」


と聞くと、上記の写真を見せてくれたのでした。



・・・ただの飲み会?


娘いわく


「おねえちゃんね、ドレスもなにも来てなくてね、
ケーキもなくて、お酒ばっかりでつまんなかった」


そうです。


中国の結婚式というのは、たいていにおいて、
大き目のレストランを貸切り、家族、親友を呼んで
盛大にごはんを食べます。

新郎新婦の移動用に高級リムジンを借りたり、
風船や紙ふぶきをとばしたり、
私が知っている限りでは、どれもこれも派手です。


ただ。
参列者が、パーティドレスを着るというような習慣は、
まだ瀋陽には根づいていません。

少なくとも昨年、
私が瀋陽で出席した夫の親友の結婚式には、
だれひとり、おしゃれ着さえ身に着けている人はいませんでした。

新郎新婦はさすがに、”ウエディング”な衣装でしたけどね。
参加者はほとんどが、ジーパン、ジャージ、トレーナー、ジャンパー。
化粧をしている女性さえ、少なかったような。


中国に引っ越してくる前にたまたま見かけた
某テレビ局の「ガイヤの夜明け」で、
中国にパーティドレスを売り込む日本のアパレル会社の挑戦、
が取り上げられていました。
上海などの都市部で、おしゃれに敏感な若い女性
しかも経済的にも自由がきくOL世代をターゲットにしたもの
だったと記憶しています。


ともかくも、今、この時代の中国に、
パーティドレスの概念が一般市民レベルにまで
浸透し始めたのは、ごくごく最近のことです。


大都市ではおしゃれな若い女性もふえ
そろそろ主流になりつつあるのでしょうが、
地方都市や農村ともなると、
露出の多い服など季節によっては着用できないし、
あるいは無礼者扱いされてしまうかもしれません。


もちろん、参加者層にもよります。経済格差も、気候もあります。
夫の周辺に、パーティドレスを着こむ人はいませんでした。
そして、たぶん、この農村にもいないのです。


それにしても、このあっさりとした会場。
唯一結婚式とわかる、壁に貼られた「喜喜」の文字も
光の按配なのか、ゴールドとはいえなんとも控えめな存在感。

あるいは、授かり婚をした若い二人(家族)なりの気遣いの表れ
だったのかもしれませんが・・・


写真をみながら、
いつかこの農村に、
”パーティドレス”がやってくる日はくるのだろうか、
と思ってしまいました。


都市部と農村部では、習慣も制度も違います。
一概に語ることはできませんが・・・


いつ来てもおかしくないような気もしますし、
いつまでたっても、来ないような気もします。

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なにはともあれ、おめでとうございます! 
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by tania0418 | 2012-11-28 15:03 | Trackback | Comments(0)

バイリンガル教育のゆくえ

さて、娘の中国語は日々増殖中です。

おどろきのスピードです。


テレビで流れる子ども用歯磨き粉のCMは、
おたがい同じ回数ほど見ているはずなのに、
かたや、ただのBGM
かたや、歌から宣伝文句まで諳んじている。


幼稚園から習ってきたお遊戯や歌はもちろん、
返事やあいさつなどは、ふとしたときに
中国語が漏れてくることもあります。


おそろしい・・・

子どもって、ほんとうに、スポンジのようです。


いいことも、悪いことも、偏見なく
しゅるしゅると飲みこんでしまう。
頭ではなく、体で、感覚で吸収していく。


親としては、日本語の発展を心がけてあげなければと
これまた日々こころを悩ませているのですが、
そのつとめが私にできているのかどうか。


いまのところ
ごく普通の4歳児のボキャブラリーで、
もらう、くれる、あげるなどで文法的な間違いは多発していますが、
(日本語教育的にいうと、初級レベル)
日本語をあやつることに苦労はしていないようです。

だけど、数字を、「いち、に、さん、・・・」で数えることは
ほとんどなくなってきました。(ガックリ)


いうまでもなく、
本人の頭脳の出来もあるでしょう。
(自分の子どものことは客観的に見えてしまいますが、
うちの子は、どっからどうみても、かなり平均値です)

こんな日常を送っていると、ふと浮かぶのは、
幼児期のバイリンガル教育って、子どもにとっていいのかどうか
という疑問です。


この調子でここに暮らせば、たぶん、娘は
中国語をさらに発展させ、日本語は小学校レベルのまま
閉じてしまうでしょう、きっと。


例えば、パーフェクトに日本語を話すことはできても、
読み、書きのレベルで、
日本語で暮らしている子どもたちと同じ状態を保つっていうことが
ほんとうにできるのかどうか。


あるいは、
二か国語をなんとか同等レベルに発展させることができたとしても、
おそらく、本人の一か国語の表現力と、
一方だけを母語とする人の語彙力、表現力、伝達力には、
到底及ばないんじゃないか。


幼児期のバイリンガル教育って、
”二か国語の話し言葉が話せる”
ことであって、それ以上でも以下でもない、
というかなり今更の結論が、うっすらとですが見え始めてきました。


確かに、二か国語話せたら、それはそれで
かなり便利。
生きるための選択肢が増えます。


でも、言語を学ぶ、習得するというのは、
ある意味、自分のことを知る、つくる、
ことでもあると思うんです。

他言語を学ぶとなると、なおさらです。
であるならば、
この社会、世界を生き抜くためには
自分を深めて思考できるツールがあったほうがいいんじゃないか。

つまりは、ひとつの思考体系が定着してから
他者に向き合うほうが、
いつかやってくる”自分へのゆらぎ”に
対応しやすいのではないかと。

それが、一般人である私なりにたどり着きつつある
考えなんですけどね。
もっと明晰な頭脳を持ち合わせた人なら
別の考え方もあるかもしれません。


でも、それさえも、子どもが成長して、
本人が自覚する内容を聞いてみないと、
はっきりしないことです。

今いえるのは、バイリンガルって便利、
という大人の願望が、いろんな面ではびこっているような
気配があるなあということです。


幼稚園からの英語教育があたりまえな
中国の子どもたちは、これからいったい、
どんな大人になっていくんでしょうか。


でも、子どもとは、それさえも
きれいさっぱり受け入れてしまえる存在。


生き様が深すぎて、
もはやついていくのに必死です。


とりあえず、私は、娘とはせっせと日本語の絵本を読んで、
日本語で遊んで、日本語でごはん食べて・・・
を続けてみようかと思っています。
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by tania0418 | 2012-11-25 11:12 | Trackback | Comments(2)

やりたいことをやる

やりたいことに、自覚的でいよう。


今日、細雪のふる瀋陽を歩いていて、
ふってわいたようにそう思いました。


やりたいことのために、
自分で自分をその環境においたり、
私はこれをやりたいと誰かに伝えたり、
好きなもの、好きな人、大切にしたいことを
ちゃんと、自分で自分のまわりに整えていこうと。

そのほうが、自分は心地いいし、
まわりのみなさんにも迷惑かけないんじゃないか。

むしろ、それが大人のやるべきことではないかと思います。


海外に暮らすとかどこで暮らすなどは、
配偶者なり会社なり、
他者の影響がないとなかなか変化の起こりえない
選択肢です。


でも、幸せか不幸か、私は海外にいて、
いろんなものを見て、食べて、経験させてもらっている。
そのことは、ある意味、私自身の選択でもあって、
やっぱり来てよかったなって思うことたくさんあります。


自分で、住む場所も、たとえば国までも、
自分で選べる人生でありたい。


っていうか、私は、単に、強くなりたいなあって
思ったのかもしれません。

瀋陽が寒すぎて(笑)


お母さんともなると、いろんなことがあって、
もはや、ほふく前進もしづらいのが日常です。


そういう日々のなかにも
自分のなかの”わくわく”は起こっていて、
「すごく居心地のいいカフェを見つけた!」や
「日本にいる大好きなあの人からメールが来た!」など、
ほんのちょっぴりのことが自分のテンションを
最大限上げてくれるってことを、
いまさらながらに実感しているのです。


そして、それをちょっとずつ積み重ねたほうが、
自分のやりたいことや夢への
いちばんの近道になるんじゃないかと。


その将来に、瀋陽という選択肢はあるのかな?
まだわかりません(笑)


先日の、WO CAFE、リベンジしてきました。
再びココアを注文しましたが、カップは欠けてませんでした。

やっぱり、ここは落ち着いていて瀋陽のその他カフェと
比べると別格の空間。


この日、店内で流れていたのは、
「ゲド戦記」で一躍脚光をあびた手嶌葵さんの歌声。

ここのオーナー、あるいはスタッフ、
日本を体験して、知ってる。きっと。
涙が出そうになりました。

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by tania0418 | 2012-11-23 19:05 | Trackback | Comments(2)

みんなの足、電動自転車

瀋陽も、車がじゃんじゃん増えて、そこらへん車だらけです。


駐車場とか駐禁とかいうボキャブラリーが広がる前に
一挙に増えてしまったので、
車がいたるところに止められていて、
まるで迷路をくぐるように道を渡らなければならない
場所もあります。


そして、この数年で増えてしまったもうひとつの乗り物、
それが電動自転車です。

おしゃれママさん愛用の「アンジェリーナ」みたいな
ことではありません。

どっからどうみても、姿は原付バイク。
しかし、充電式の電気で動いている代物です。


瀋陽も例外なく、増えすぎた車の問題で、
排ガス規制をしいています。
古い車や車種によっては、主要道路には
進入禁止になっているものもあります。


そして、同時期に規制対象になったのが
排ガスに加え騒音問題も引き起こすバイク。


数年前までふつうに走っていたそうですが、
いまは原付さえ見かけることもほとんどありません。
なんてったって、この街でバイクに乗るのは
”違法”ですから。


翻って、電動自転車ならば騒音も、有毒ガスも出さない。
そして、つまりこれは自転車でもなければ、バイクでもない・・・


いいかえれば、現時点で
この国に存在する交通ルール
(まあ、ここではルールなんてあってないようなもんですが・・)を
を完全にすりぬけてしまえる乗り物なのです。


道路でも歩道でもOK。
時速30キロは余裕で出ます。
大人二人、子ども一人の、最高3人乗りも大丈夫。
(たまに大人三人乗りも見ますが。。)
かといって、着用しなきゃいけないヘルメットやらが
あるわけでも、決まっているわけではありません。


自転車を乗りこなしていると思えば
小回りはきくし、充電の手間はあっても
管理も簡単。確かに、庶民の味方です。
浸透していったのもうなづけます。


法整備を整える以前に、
あっというまに広がってしまったというスピード感もそうですが、
ルールが、ルールのない現状を追いかけていくというのも、
いかにも今の中国らしい現象だなあと思います。


だけど、文字通り”走る無法地帯”なので、
事故が後を絶ちません。
音をあまり出さない好条件も加わって、
車や歩行者の間で小回りきかされても、
はっきりいって危ないだけですね。


免許制にしようとか、ナンバープレートをつけようだとか、
いろいろ議論が進んでいるようです。
こういうのは、市民の安全を考えれば
急いだほうがいいんでしょう。


でも、この乗り物がすんなり受け入れられた理由が
理解できるぶん、
ルールづくめになっていくこの国の行方にも、
ちょっとさみしさを覚えたりします。


こちらに来てすぐ、電動自転車を
道路ではじめて運転しとき、
ちょっとだけ、中国人の気持ちが理解できたような
心持ちがしました。


それは、初めて味わう
あらゆるルールに縛られない爽快さ、
だったような気がします。


実はうちにもあるんです。


義姉が使っていたものを
無期限で貸してもらっている
電動自転車「愛瑪」(アイマ)さんです。


でも、冬に入り、私は乗るのをやめました。

雪や氷で覆われる道を走るのは危険すぎる。
そして今朝、娘とともに幼稚園へ向かう途中、
その決意は固まりました。


道全体に広がるように、
氷ってしまった水たまりを
娘とおそるおそる渡ろうとしていたときです。


前方から、おじさんが運転する電動自転車が突進。
氷上に侵入したかと思うと、
見る間に斜めに傾いていき、
気が付いたらおじさんは、
私たちの足元で道端にきれいに投げ出されていました。


・・・初めて見る、電動自転車の転倒に
少なくとも私は呆然。


おじさんは足首を負傷したようでしたが、
「メイシャー」(大丈夫)といって立ち上がっていかれました。
本当に大丈夫だったのでしょうか・・・


というわけで、なにがあってもこの冬は絶対に
アイマちゃんは冬眠させようと決意した次第です。

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写真は、この夏撮影したもの。
電動自転車で出発前の父娘。

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by tania0418 | 2012-11-20 20:59 | Trackback | Comments(4)

ファッションストリート

瀋陽一の繁華街、「太原街」には、
これもまた、瀋陽一の地下2階にわたる地下街があって、
「ファッションストリート」と呼ばれています。


言うまでもなく、ここで売られているのは95%が服(のこりは雑貨)。
そして売られている服も、売っている人も、買い物する人も、
ほとんどが若者たちです。
日本でいうと、ちょっと渋谷、原宿に感覚が近い
かもしれません。


瀋陽でいちばんホットな場所だというから、
それなりに気合いれて歩いてみましたが、
先述の「五愛市場」からチャチャッと卸してきたような、
ただ安いだけの代物もあって、
本当に「流行り」のファッションストリートとして機能しとるのかどうかは疑問。

それよりも、
瀋陽において何をもって「流行り」というのかについて、
より深い観察と検証が求められそうです。


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狭くて薄暗い空間に、無数の服屋さんがひしめきあい、
ちょっと息苦しいうえに、歩くと必ず人とぶつかります。

至近距離に店が連なるので、
店員さんとの距離も近く、
なかなか店の写真を撮るのははばかられました。

やっと気兼ねなく撮れたのは、ここ。

ここが、ストリートの中心部なのか
外れなのかはかわりませんが、
広く取られた空間はラウンドアバウトみたいになっていて、
軽食屋さんがこれまたひしめきあっていました。

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なんでも、”大量”にあるのが大好きな中国。
この地下街も例外ではありません。

そして、いかにも中国らしい蛍光ネオンに、
もはや30代後半は気後れ(笑)。

日本ではゲーセンかパチンコ屋さんくらいでしか見ませんが、
若者の集う街ともなると、
このくらいの発色、必要なんですね。
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by tania0418 | 2012-11-19 03:23 | Trackback | Comments(0)

WO CAFE

いつもバスで通る「南五馬路」沿いに、
瀋陽らしからぬcafeを発見。
早速行ってみました。


ここはビジネス街なのでしょう、
大きめの地方銀行やオフィスビルに
挟まれるようにしてある「WO CAFE」です。

外観、内観ともに、”あれ、ここ瀋陽だっけ”、
といわんばかりの西洋&モダンな雰囲気。

廃材をふんだんに使った店内は
どことなく落ち着きがあります。
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はだか電球がこんなふうに効果的に使われている空間を、
こちらへ来て初めて目にしたような。
(こちらでは、はだか電球は、ただのはだか電球ですから。)


奥には黒い書棚が置いてあって、
蔵書が読めるというのも、なかなか出会えない演出。
そのためか、客さんや店員さんも、どことなくもの静か。
無意味に大声で話す人もいません。

これは、瀋陽にあるカフェ、ショップの中でも、
かなり突き抜けている空間です。


嬉しくて気分もちょっと上がってしまったこの日は、
店員さんにホットココアを注文。

やってきたココアは、
少しぬるめでしたが、ちゃんとココアでした。

まあ、こんなもんですよ。
味は期待しすぎないのが鉄則です。


しかし。

カップは、どう見ても、
欠けていました。

インテリアにはずいぶんこだわっているようだけど、
お客に出すカップに、これはアリなのか・・・?


あ、いけない。

私はやっぱり瀋陽にいるのでした。

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by tania0418 | 2012-11-17 04:20 | Trackback | Comments(3)

日中カップルの決意

かなしいかな、夫婦は結局、他人です。

だからこそ、コミュニケーションに努力がいる。それも、日々。


日本人同志だってそうであるのに、
私たちのような国際結婚ともなると、
余計、がんばらないといけない。
あるいは、割り切らなければいけないですね。


私たちは、決して同じような培養土で育てられてきた
わけではないので、
ものすごい価値観や物言いにズレがあります。
理解するのにも、それなりに時間がかかるときもあります。


にも関わらず、相手の顔をみると
いろんなことを期待し、要求してしまう。

子どもにはそうしないのに、
配偶者にはつい一言多くなってしまうのは、なぜだ?


日本人同志の夫婦だって苦労は同じだと思います。
喧嘩するときも仲がいいときも、
結局、人として向き合っているだけですから。


そんなふたりの間に生まれた子どもは大変です。
お互いの微妙なバランスをちゃんと嗅ぎ取って
出る時には出る、出ないときには出ない、を
4歳にして心得てしまっていますから・・・。


子どもとは、
ほうっておいてもゴクゴクと
いろんなことを吸収しながら成長するもの。
どこにいようと、どんなめにあおうと、
学び成長していく才能を持っています。


でも、子どもの可能性をほんとうに伸ばしていくために、
あるいは、この世の中を生き延びていくために、
必要最低条件があるとすればそれは、
お父さん、お母さんが、
今日も仲良く笑っていることではないかと、
思うのです。


子ども時代に、
その”大地”に立っている感触を得られるかどうか。


逆に、それさえあれば、
子どもが将来直面する人生の選択に、
狂いは生じえない、んではないかと思うのです。
そして、私は
「あなたが選ぶならなんでもいいです」と言える
親でありたい。


絶対に、教育制度や学歴なんかじゃない。

国や国籍なんかじゃない。

円満な家庭と、そこに抱まれるように
すやすやと眠れる夜さえあれば、
子どもはもっと自由に伸びていくのだと思うのです。


つまり、私が娘に願うことはたったひとつです。

自分へのゆるぎない信頼を
持ってもらいたい。

自分は、望まれて生まれてきているという、
絶対的な肯定感。

そこに立ってこそ、
生きる勇気も知恵も湧いてくる。

生きるためには、
それさえあればもういいじゃないかと思っています。


そして、いや、だからこそ、
私たち日中国際結婚カップル(7年目)は、
今日も努力しないといけない。


向き合って、協力して、分かち合わないといけない。

できるだけ小さな理解を積み重ねて、
できるだけ笑顔を増やし、
子どもが最大限に笑って過ごせるように。



・・・そうはいっても、ときどきモノ投げたくなるんですけどね。
(ハッ、いけない。努力努力)


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by tania0418 | 2012-11-16 03:29 | Trackback | Comments(3)

瀋陽の英語熱

中国語を、本腰入れて学ぼうと思い、
こちらで知り合った方に中国人の先生(女性)を
ご紹介いただきました。


その方に、先日お試し授業を自宅で
していただいたのですが、これが面白かった。


彼女は、「日本語能力試験」という
英語でいうと「英検」みたいなやつの
1級レベルを合格済み。


しかも、外国人向けに中国語を教えるカリキュラムも
受講しているとあって、
日本人が陥りやすい発音のミスや
中国語の雑学みたいなことに
大変詳しく、聞いていて飽きない2時間でした。


まあ、お金を払ってお願いするのですから、
教師としてはあって当然のスキルですね。


でも、はっきり言って驚きました。


こんなふうに、スキルと仕事量のバランスを
ちゃんと考えて語学講師のお仕事をされている人がいることに!(笑)


私も、アルバイトで日本語教師をさせて
いただくことがあるので、余計に共鳴しました。

昨今の不安定な情勢のおかげさまで、
日本語の生徒数は激減していますが。


そして、
いくつかの語学塾を見学した経験を踏まえて感じるのは、
いまや瀋陽は、イングリッシュティーチャーの天国だということ。


プライベートな私塾であれば、
生徒数もさることながら、
教師に支払われる1時間の授業料は、
日本語教師の倍以上が相場です。


ネイティブスピーカーでさえあれば、
過去のスキルは一切問われません。
(それは、日本語でも同じなのですが。)


こちらでお世話になった大学教授と会食をしたときのこと。

同大学でアメリカ人と一緒に英語の授業を担当している
その先生が、パートナーのアメリカ人に、
これまでどんな仕事をしてたのかと尋ねたら、
「木こり」という答えが返ってきたのだそうです。


―仕事を変えようと、いや、人生を変えようと
中国にやってきた。
ここでなら、英語さえ話せれば
仕事があるから。


言うまでもありませんが、木こりも、立派な職業です。


だけど、
大学という教育機関で英語教師として採用されるために、
林業が有利になることはない、
という価値観で生きてきた私にとっては、
わりと大きめのショックでもあり・・・・・。


授業料に見合った、質の高い授業が提供できるか。


そういう選択基準が、
教育において(も)、あまり求められない。


私だって、一応は、
通信講座で日本語教育養成講座などを受講し、
日本語学校で非常勤講師の経験はあるんです(ほんの2年弱の話・・)。


でも、私の教えられる実際のスキル、
受け持ったことのある授業内容を、
これまで面接にいった学校に尋ねられたことは
ほとんどありません。(あ、一件だけ、ありましたね)


面接で、日本語で模擬授業をやってくれ、
といわれ、学校側の担当者に見ていただいたこともありますが、
どこにも、日本語がわかる方が座っていらっしゃいませんでした。


日本語ネイティブなら、決められた時間数をこなせばOK!


と、カラッとした笑顔で生徒数名を任され、
それはそれで、教える側はとても気楽で、
また、カリキュラムにも自由度が出て、
面白いと思うこともあるのですが。


これでは、受講する生徒さんがかわいそうでは・・・?


でも、そんなこと、私が心配することでもなさそうです。
こういうスタイルも、瀋陽という地方都市ならではの
現象なのかもと思います。

過渡期であるともいえるのかな。

あと数年もすれば、街中に乱立する英語塾も
全体的に淘汰されて、
”よいもの”が残ってくのではないでしょうか(と思いたい)。


それにしても、
外国語を学ぶことさえ許されなかった
1970年代からまだ、50年も経っていないというのに。


この国の熱気は、日本語などには見向きもせず、
英語習得という目的にのっかって、
ハイスピードでどこかへ向かっているのです。
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by tania0418 | 2012-11-14 23:11 | Trackback | Comments(0)

初雪

とうとう、降り積もりました。

昨日一日降り続いた雨は、
深夜の冷気にひやされて、
朝には雪景色に。

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とはいえ、今日はちょっと寝坊してしまったので、
起きたときには、すでに解けはじめており。
登りきった太陽に照らされて、
あたり一面、キラキラと輝いておりました。


瀋陽は、街全体が汚れていて埃っぽいのですが、
雪が残る快晴の日は、空気がとても清らかに
感じられます。冬もいいもんだなあと。


余裕さらしていられるのも今のうちでしょうか。
本格的な冬の、まだ序盤にもなっていないと思わなければ。


今日降り積もった雪は、
これから春になるまで(おそらく来年の3月くらいまで)、
このまま解けることはないのだそうです。


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by tania0418 | 2012-11-13 02:04 | Trackback | Comments(0)

中国の結婚事情

お天気に恵まれ、季節外れに少しあたたかった週末、
近くの「南湖公園」に散歩に出かけました。

よくある運動器具はもちろん、
遊園地らしき設備もあったりする
わりと大きな公園です。


ここに、週末になると、必ずできる人だかりがあります。

これこれ。

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ここは、いわゆる結婚情報交換の場。


ずらりと並べられているのは、
結婚を求む男女の情報がかかれたチラシです。


この人の群れはつまり、紹介業者さんのほか、
結婚したい男女をもつ家族たち。(おそらく、当事者はいません)


気になる人物を見つけ、結婚までこぎつけたら、
業者さんに謝礼が支払われるという
お金の臭いのぷんぷんする結婚斡旋の場です。


驚くべきは、瀋陽ではこんな光景、5、6年ほど前には
影も形もなかったということ。


数年前から、上海など大都市ではすでに見聞きしていましたが、
瀋陽でも例にもれず、週末の公園で
このような結婚斡旋業が行われるのが慣例になりつつあります。

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一部のチラシを見てみると。
たとえば、一番手前のチラシは男性の求婚情報のよう。

「80年生まれ。176㎝73キロ。
大卒。月給2800元。76平米の部屋所有。
84年~88年生まれの女性、求む。」


わりとシンプルです。

これが、女性のものになると、
かなりシビアなんです。

女性は自分の自己紹介もそこそこに、
求める男性の条件を必ずリストアップ。

結婚したい相手に求める条件NO1は、
「家(不動産)を所有していること」(賃貸はNG、条件にもなりません)。

次に「車を持っていること」。
さらには、「身長が175㎝以上」とかいうのも目立ちます。

30代、40代の女性、
再婚相手を求める女性なども少なくないのですが、
こうした「条件」面の内容が、手ぬるくことはありません。


つまり、中国における結婚は、
男性へのプレッシャーに他ならない。


女性の求める「いい暮らし」を実現できない男は、
相手にされない傾向にあります。
女性に求められる条件は、健康、性格良好、くらいかな。


私などがもし相手を探している立場なら、
思わず後ずさりしてしまいそうな現場です。
だって結婚ってもっとなんかこう、精神的にっていうか・・・・・・。



中国では、私のような人間は生き延びていけない。

そう自分に言い聞かせています。


つまりは、繰り返すようですが、
「お金」がどんだけほしいか、なのです。


中国におけるお金の偉大さ。
それは、結婚とも無関係ではありえない。

お金が、仕事や人間関係をつくり、
幸福の潤滑油どころか基盤になっている社会で、
お金はほしくない、愛がほしい、などというのは、
この大陸では邪道なのです。(あ、ちょっと言い過ぎかも。)


とくに、こうした結婚斡旋を利用する男女のほとんどは、
80年代生まれ。

一人っ子ばりばりで、
右肩上がりの中国で自信満々、
いい暮らしをもっともっと追究したい世代です。
それの、何が悪いの? と。


こういう風景を見せられると、
もう少し貪欲に相手を選べばよかったかなあと
思わなくはありません(笑)


少なくとも、幸せな結婚とはなんだろうか、と考えさせられます。


家や車や職業と結婚するのと、
なにはなくともとにかく一緒にいて楽、と結婚するのとでは、
どのへんが、どのように違うのでしょうか。


どちらも、「幸せな結婚がしたい」という意味では、
同じことを言っているように聞こえるのは、私だけでしょうか。


言うまでもなく、結婚の価値観なんて
時代が変われば変わるもの。

中国のこのにわか産業も、10年後、どうなっとるか
わかったもんじゃありません。


だからこそ、
もし結婚することに、未来永劫ゆるぎない存在感と価値があるなら、
その”幸せな結婚”の意味するところを
私も実感してみたい、などと思ってしまいます。
(こう見えて、いろいろありますので。。。)


大陸80年代生まれの、
「できるだけお金に困らない、快適な暮らしがしたい!」
という貪欲な叫びを聞くにつけ、
そこにも何かヒントがあるような気がする今日この頃なのです。

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by tania0418 | 2012-11-13 01:38 | Trackback | Comments(0)


フリーランスの編集・ライター。夫の故郷、遼寧省瀋陽市での、食、子育て、仕事。 お問い合わせ、そのほかはこちらへ。ken76ya@hotmail.com


by tania0418

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